Friday, January 19, 2007

大学の指導教官のこと

 
大学時代の恩師である指導教官が定年退職を迎える。

昨年11月のゼミのOB会の席でその話を聞き、最終講義の日を確認した。12月21日に先生には内緒で学校へ向かったが、大学の職員となっているゼミの後輩に会うことができ、最終講義「英語音声学」の授業を聴講することができた。昔から派手なことが嫌いな先生らしく、学生にも最終講義とあることを一言も言わなかった。たまたま、同じ日に1年生の時に担任だった教授が最終講義を迎えていたが、こちらの先生は学内の至るところに貼り紙までして、最終講義を宣伝していたのとは正反対であった。

次の授業(実際は次のゼミの授業こそが正真正銘の最終講義となるのだが、こちらは立ち会うことができなかった)があったため、英語音声学の講義の後、少しだけ立ち話をして、近いうちに研究室を引き払わなければいけないという話を聞いた。ほしい本があれば、いくらでも持って行っていいとのことだった。「では、そのうちに』と話を濁したのだが、驚いたことに、その翌週に先生から、翌日に研究室の片付けに行くので来てほしいと連絡があった。先生直々に連絡までもらったので、翌日は車で大学へ向かった。先生は思い出深い本も含めて、ありとあらゆる本を持たせてくれた。おそらく、そのほとんどが見る人が見ればかなり価値のある本だと思う。今、我が家には言語学者が住んでいるのかと思うくらいの素晴らしい本でいっぱいである。

考えてみれば、この先生は父親が日本音声学会の重鎮で、本人もずっと音声学会のメンバーである。大学にも建学の頃から40年間に渡って教鞭をとってきた。にもかかわらず、でしゃばらない、常に控えめな人であった。学内を最終講義の貼り紙で一杯にしてしまうような人ではなく本当に良かったと思う。そんな先生から、1年に1回ゼミのOB会でお会いして、(大半はお世辞だとは思うが)「君は勉強できたよね」と言ってもらったり、「研究室の片付けは君に一番最初に声をかけたから」と言ってもらえるということは本当に幸せなことだと思う。

「高校の頃、英語の教師に「英国の方言を勉強したい」と相談したら、それは英語音声学という学問だと教えてもらった。それで、獨協大学に外国語学部英語学科を見つけ、受験する前から音声学を担当していた先生の名前はチェック済だったんですよ」

大学の研究室で、先生にそんな話をしたのだが、先生は大変うれしそうであった。大学を卒業してから20年も経つというのに、そんな先生とほとんど途切れるることなくお付き合いをさせていただいているということはとても大きな財産であると思う。
 

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